2009年12月1日火曜日

どのような「最後」を迎えるか?~自分の「死」について考える~

生物は生きている限り必ず「死」を迎えることとなります。
「ヒト」も生物の1種であるわけで、必ずだれでも一度は「最後」=「死」を迎えることとなります。

それがいつかは人それぞれです。

本ブログをごらんいただいている皆様の中には、遠い未来に「死」を迎えることを予想されている方もいらっしゃれば、いろいろな病気などでそれほど遠くない時期に「死」が現実のものとなることを実感されているかたもいらっしゃることでしょう。

あまり実感がわかないかもしれませんが、予期せぬ「死」が突然襲ってくる場合だってあります。

健康に過ごしている若い方でも、いつ交通事故にあうかわかりませんし、物騒な事件で突然、他者に命を断たれる可能性だって否定できない世の中です。

だれにも「死」は避けられない切実な問題なのです。


では、さいたま赤十字病院呼吸器内科ブログ読者の皆様はどのような「最後」=「死」を迎えたいでしょうか?

せっかくですから、皆様、考えられるうちに自分の人生の「最後」について考えておかれてはいかがでしょうか?

さいたま赤十字病院呼吸器内科ブログ作者は人生の最後を飾るのが「死」ではないかと考えます。

「死」を否定的に捕らえるのではなく、絶対に避けられないものである以上、肯定的に捕らえてみてはいかがでしょうか?

人生の最後を、家族や友人に見守られて旅立つこと。

一人でおだやかに最後を迎えること。

病院で最後を迎える場合、自宅で最後を迎える場合、いろいろな状況が考えられます。

病院で最後を迎えられる場合には、延命処置などについても、元気なうちに家族や周囲の方々と相談しておくことは現在の高度医療時代には必須のことかもしれません。

万が一のときに延命処置を希望するのかしないのか?

人工呼吸を希望するのかしないのか?

家族も含めて自分以外の周囲の方々が判断するより、自分自身で前もって決めておくことが、実は家族や周囲の方々にとっても非常に助けになることが多いとブログ作者は考えております。

患者さんが重篤なときに、ご家族に「延命処置・人工呼吸など希望されますか?」ときいても、ご家族が患者さん御本人の意志を知らないと、

「そんな重大なこと決められません!!」

と言われる方々をしばしばお見かけいたします。
たしかに、そんな重大なこと、自分たちの意見だけで決めるのは非常に苦痛なことではないかと思います。もし、そんなとき、患者さん御本人の意志を知っている方がいらっしゃれば、それは非常に有意義なことではないかとブログ作者は考えます。

最近では病院以外に在宅で最後を迎えられる方々も徐々にふえつつあります。

在宅での往診に積極的な医師も増えてきており、自宅で自分の好きなように・自由に余生を過ごして、だれからも束縛されることなく最後を迎えられる方も徐々に増えている状況です。

あなたは、どのような最後を迎えたいですか?

「私はまだまだ死なないよ!!」と思っていらっしゃるそこの「あなた」ほど、自分の人生の最後について家族や周囲の方々と十分今のうちから相談されておくことをお勧めさせていただきます。

ブログ作者も、自分の家族や周囲の者とゆっくりとした時間の中で、自分の「死」について考える時間ができたらよいなあと思っております。

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