なんて書くと、「お前医者のクセに『死』について書くのか!!」
とかいう、ご意見をいただきそうですが、呼吸器内科医はおそらく、病院内でも最も『死』に、接することの多い診療科のひとつであると思います。
いろいろな病気の方々が、入院されている病院ですが、『死』を迎える人々の多くは「肺炎」などの感染症が引き金となって亡くなっていくことがとても多いのが現実です。
いろいろな病気を持っていても、最終的には「肺炎」や「呼吸不全」で亡くなる人がとても多いのです。
「脳梗塞」や「心筋梗塞」「脳出血」、「大腿骨頚部骨折」、「胃がん」「大腸癌」などなど。いろいろな病気を抱えてても、その病気事態でなくなるというよりも、全身状態や免疫状態の悪化により、「肺炎」などの感染症を生じて、最終的に看取られていく方々がとても多いことを病院にながくいるととても感じております。
ただ、「病気」で亡くなる人と言っても、千差万別です。
市中で「心筋梗塞」や「脳卒中」となり、心配停止の状態で運ばれてきて、懸命の蘇生術を施しても全く効果なく、家族も間に合わないで、孤独になくなっている人々がいます。
対照的に、「肺癌」などの「癌」で、最後を迎える人々は、多くは自分の余命を感じていたり、病状が徐々に悪くなることが周囲の人々からも、よく見える病気のため、自分の「死」について考える時間を持てたり、周囲の人々もある程度心の準備をする時間が取れる死に方になります。
そもそも、「病気で死ねる幸せ」や「病院で死ねる幸せ」について、日本人は理解しているのでしょうか?
第二次世界大戦の状況では、おそらく「病気で死ねる」なんて日本人は思っていなかったことでしょう。
ではなんで「死ぬ」のか?
戦争でだれかに『殺される』心配をしなければならず、また、食料が無いため『飢え死に』の心配もしていたことでしょう。
今でも、中東やアフリカなどの国々では、毎日の生活が「死の恐怖」と隣り合わせの人々が多数いるのではないかと思っております。
では、日本はどうでしょうか?とりあえず、なんとか「飢え死に」する人はゼロでは無いと思いますが、非常に少ないかと思います。でも、「自殺」をする人は1年間で3万人を超えておりますし(平成20年で32249人みたいですhttp://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm)
毎日のニュースで「殺人事件」や「交通事故」でどれだけの人々が亡くなっていることでしょうか?
そのように考えると「病気」で死ねることは「幸せ」と感じられませんか?
日本人は、いつの間にか非常に「贅沢」に成ってしまっているかと思います。(自分もそうです)
実は、今現在「生きている」ということはとても「ラッキー」なことであって、「幸せ」な偶然がいくつも重なり合ってようやく「生かされている」ということが理解できているでしょうか?
逆に、ちょっと「運が悪い」と「今日」でも「明日」でも、自分は地上に存在していないかもしれないのです。
さいたま赤十字病院呼吸器内科ブログ読者の皆様、是非今のうちに「自分の死」についてよく考えてみてください。そして、家族や周囲の人々と「死」について話あっておくことが、いつか役に立つときがくるかと思います。
人間は、有史以来「死なない人」はいないこといがわかっておりますから。
「ヒトは死ぬのがスタンダード」です。もし「俺は死なない」とか「300年生きてます」とか言う人がいたら是非お目にかかって見たいものです。
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